防災活動
1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災で家内の実家が被災した。
翌日、神戸に救援物資を届けに行くために、徹夜で救援物資のリストを作った時から、私の防災活動は始まった。(1995.1)
もし、東京であの様な地震が起きたら・・・・
家族の無事を確認し、東京に戻り、私はまず神戸で聞いた色々な話や新聞・テレビ等の情報を元に反省点を自分なりにまとめ小冊子を作った。(1995.2)
その冊子は個人個人の問題点を書いた物である。
防災は最低、町単位での活動をしなければ阪神教訓を生かせないと思い、町対応の「自治町会防災マニュアル震災版」を作った。(1995.3)
その頃、私の町でも「自分の町の防災は本当に大丈夫か」を問いはじめていた人々が多くいた。
「自治町会防災マニュアル震災版」を作っても、町が採用してくれなくては活用できない。
私は、町の防災部に入ることにた。
私は、今まで自治町会活動に何の縁も無い人間である。
役員の入れ替わる時期でもあり、町は、新人の私を快く受け入れてくれた。(1995.5)
私の町にも以前より防災部はあったが、どの町でも同じように、年に一回の震災訓練の為にあるような部である。
私と新しい防災部員は、何度も話し合い問題点を出し合った。
どこの自治町会でも防災予算は少ないであろう。
私の町の防災予算も11万5千円(1995 阪神大震災後)、前年度は6万円だった。
予算は前年度の倍近くにはなっが、11万5千円で何ができるだろうか。
町の役員会では「発電器を買え」「トランシーバーを買え」などと物を揃えろと言う意見がたくさんあった。
一体、11万5千円でどれだけの防災資器材が買えるのか・・・・?
発電器で何ができるのか・・・?
トランシーバーは役に立つのか・・・?
本当に防災資器材さえ揃えればいいのか・・・?
私の考えでは、防災資器材は最後に必要な物であり、最初は町の防災に対する方針であると考えた。
町の防災システムの確立ではないかと訴え、また、新しい防災部員もこれに同意してくれた。
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