阪神淡路大震災の教訓として
1.関西地区の住民の意識の中に地震と言う言葉は無かった。
意識が無いのだから備えなどあるはずも無い。
2.地震のショックにより各自バラバラな行動をとった。
ただ右往左往し、日頃の自治会機能やとなり近所の助け合い機能も失ってしまった。
3.行政機関の力に頼り過ぎ、自らの行動が発揮出来ずに被害を大きくした。
以上の問題点を考え、以前に作成した「自治町会防災マニュアル震災版」を改訂し「町会防災マニュアル」を作成した。(1995.6)
このマニュアルは、地域特性を考えて作った。
(広域避難場所に近いことや消火水利に利用できる綾瀬川・荒川がある事。既存の町会の組織を利用している事)
簡単に「町会防災マニュアル」の内容を紹介する
1.震災発災後、各住民は町の一時避難場所に集合する。
集合場所を町に19カ所決めた。(以前は1カ所)
自宅に近い一時避難場所に分散避難する。
各一時避難場所に各担当の地域部長が連絡に回り各避難住民や町の状況を町会防災本部に報告する。
(町会防災本部の方針や伝令を各担当の地域部長が集合している住民に伝える。この相互の情報伝達さへしっかりできていれば、非常時の組織を組み立てたり、住民を動かすことは簡単である。また、震災時に自治町会役員が不在で大事に至らないために重要なポジションは代行者も決めてある。)
2.町に踏みとどまり、町を捨てるのは最後の手段としている。
3.自分から被害を出さない、被害が出たら、となり近所と協力し助け合う。
大まかに言えば以上の3点だ。
マニュアルをより現実的なモノにし、また各住民が防災に興味を示すようにするには、どのようにすればよいのか、その事が問題であった。
配布する日も8月末の震災訓練1週間前と決めた。
マニュアルを生かすのに一番大切であり重要なことは、町会自身が、いかに自分の町の情報を持つかである。
・消火栓はどこにあるか
・耐火構造の建物はいくつあるのか
・町会の総世帯数は何軒か
・一体何人の人が住んでいるか
・どこにどんな人が住んでいるか
・男女の割合は・・・
・子どもの人数は・・・
・老人の人数は・・・
・寝たきりの病人はいないか・・・
・昼間人口と夜間人口の差
その辺から調査し始めた。
今までの町会には、そのような情報はなかった。
調査をする場合、必ず出てくるのがプライバシー問題である。
近くの小学校に住民を集め防災の臨時総会を開きました。(1995.7)
・防災マニュアルの見本を見せ住民調査の必要性も説いた。
・参加者の賛成を得て大儀名文は出来た。
ただ臨時総会に参加してくれる住民は、大なり小なり防災や町会活動に関心がある人たちである。
しかしながら、調査を開始すれば思うように上手く出来た。
次に行ったのが「防災募金」である。(1995.8)
一口1000円の募金で20万8千円の防災資金を集める事が出来、マニュアル作成費・少しの防災資器材の購入が出来た。
住民は目に見えた行動さへすれば理解してくれると、今では確信している。
わが町会は、町会会長が防災担当職についている。
これは、防災部は町会執行部の直轄であるということだ。
それは、防災活動を行う場合、防災部だけでは不可能である。
役員や住民が主体となり一丸となり進めなくてはならない。
防災部は、防災部だけにとどまらず、各部に対して色々と意見を求める為に、単なる部であると、越権行為を起こす心配があるからだ。(1995.7)
防災部は、日頃の機材点検や防災計画を考えて行くだけである。
実行するのは、町会員の全員だ。
防災マニュアルを配布(1995.8)
防災マニュアルに従い震災訓練に望む(1995.8)
毎年1月17日を町会「防災強化日」とした(1996.1)
阪神淡路大震災から1年後、あの教訓を風化させない為に町会会館にて
・町内24時間警備
・ビデオ上映会(地震関係)
・写真展(地震関係)
・防災資器材操作訓練
以上を5日間にわたり行った。
現在では、町に居住する医師・看護婦・薬剤師などの専門職の他、様々な人々が防災部に所属している。
私たちの町は、たった数年あまりで「防災に関心ある町」に変わって行った
今でも一ヶ月に1回の防災会議を開いている
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